Viva Origino Vol.43 No.1
シンクロトロン放射を用いた生命起原研究15年

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中川和道
神戸大学名誉教授・人間発達環境学研究科
〒657-8501神戸市灘区鶴甲3-11
 nakagawa@kobe-u.ac.jp 
(Received 11 August, 2015, Accepted 4 November, 2015)

はじめに
  私は名古屋大学工学部原子核工学科で放射線物性物理学に目覚めて以来,物性の研究をしてきた.その私がなぜ生命の起原研究を始めたのだろうか.神戸大学定年(2015年3月)の機に神戸大学でも本学会でも特別な講演の機会をいただいたので,その経過をまず思い起こしてみた.
    1989年神戸大学に来た私は,大学改組の荒波のなかで環境科学の教育コースを立ち上げるチームに加わることになった.人間環境科学科自然環境論コースは学生定員35名で1993年4月に第1期生を迎えて発足した[1].改組の過程ではよくあることだが,環境科学に燃えて入学してくる学生を迎える教員組織の方は環境科学を学んだことのない素人の集団である.環境科学の素人が環境科学を教えるのだからこれは大変だ.「要請される課題」と「責任をもって実行できる課題」との相克が中川にも襲いかかった.中川にとって幸いだったのは,分光という汎用性の高い手法を主な武器として物性物理学に取り組んできたことであった.オゾン層のリアルタイム分光計測を目指す人工衛星の打ち上げが模索されていることを知った中川は直ちにオゾン層と紫外線,それに関連して放射線と生命の相互作用を環境科学の原理論として立ち上げることにした.
    紫外線がDNAやタンパク質を損傷し疾病の原因となることはよく知られており,オゾン層に守られた現在の地球環境では地球生命は疾病の危険を低減し日光の恵みを享受できる.このオゾン層が形成されたのはいつの時代かを調べた中川は愕然とした.酸素発生光合成生物シアノバクテリアが作ったストロマトライトは約35億年に生存したという.その酸素が地球を次第に満たしていくにつれて形成されたオゾン層が現在の10%に達したのはWayne 1991[2](図1)によれば,約24億年前というのである.そうすると約11億年もの間,地球生命はひなたには出られず,日陰あるいは水の中に生息するほかなかったと考えられる.地球の歴史は生命に「日陰で生きなさい.この弱い分子ATGCUでDNAやRNAを,環状分子でアミノ酸の一部を作ってしまったのだから.あと10億年くらい経てばオゾン層ができるから・・・」と,こう告げたかのようである.神様がシナリオを書いたかのようなこの事象に中川は困ってしまった.科学の立場から環境科学の原理論として迫ってみようと中川は考えた.アミノ酸や核酸はいつどのように生成され,どのようにカイラリティーを獲得して生命に至ったのかを分光学,光化学,光物理学の立場からアプローチしてみようと考えたのである.

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図1.地球の大気進化のうち酸素濃度の増加とオゾン層の形成([2]を改変).

1.2.はじめに(2)  放射線・紫外線:昔は生命分子の化学進化の原動力であったが今は敵

   先に書いたように紫外線は皮膚がんのもとになる.母子健康手帳の「日光浴,外気浴」勧奨の項目から日光浴の文字が消え,外気浴だけになったのは1998年だという.ものの話によれば厚生省は日本が克服すべき国民病として結核→胃がん→肺がんへと標的を絞って克服に努めた.そのかいあって,喫煙者撲滅により肺がん克服のめどがたちつつあった当時,厚生省は皮膚がんにエネルギーを集中しようとしており,これは環境科学の題材としては格好のものであった. 皮膚がん発症には光化学的にDNA損傷が起きる過程(1次過程)に引き続いて生物学的に修復されたり増幅されたりする過程(2次過程)が重要である.
   放射線の生物作用についても同様である. 50%の人が30日間に死亡する放射線急性被ばく致死線量LD30,50は5 Sv(= 5 J/kg:X線,γ線,軽粒子線)であるが,これを熱エネルギーに換算し(ΔQ)人間の体を100%水(熱容量C=4.2 kJ/(kg K))とみなすと,5 Svの放射線は体温を1/1000度上昇(ΔTQ/C)させるにすぎない.人間は火傷で死ぬのではなく生命情報に生じた誤り(DNAの傷)が生物学的に情報増幅される過程を通じて死ぬ,と考えることができる.火星への宇宙旅行では往復2年余りの間にこの線量をもたらす太陽の巨大フレア現象が1回以上起きる確率が高く,火星の飛行士探査計画上の大きな課題となっている.
     ひるがえってアミノ酸やDNAの光化学を研究するには上記の2次過程ではなく1次過程のみを検出する.これには高強度の光源を必要とする.アミノ酸の光吸収スペクトルの主要部分は波長200 nm以下の真空紫外域にあり,この領域で1 mW(1015光子/s)程度の光出力を得るにはシンクロトロン放射あるいはエキシマ-ランプ(Ar2 126 nm,Kr2 146 nm,Xe2 172 nm)しかない.実際,シンクロトロン放射研究施設SPring-8での軟X線による固相グリシンの重合の研究を中川の既報論文[3]から引用しておこう.光子エネルギー860 eV の軟X線をグリシン蒸着膜に照射してGly+Gly+hν → GlyGly の化学進化の研究を行ったさい,半径10mm 厚さ1μm のグリシン蒸着膜に860eV の軟X線光子を4時間積算で1.6x1015 光子吸収させた[4].これをエネルギーに換算して蒸着膜の体積3.3 x 10-3 mm3とグリシン固体の密度1.60 g cm-3 からグレイGy 単位で吸収線量を求めると1.53x107 Gy (= J/kg)となる.X線に対する線質係数1 を用いて線量当量に換算すると1.53x107 Sv という極めて大きな値となり,上記の致死線量LD30,50= 5 Svと比較すると破格的に大きい.このことは,生命の起源に先立つ化学進化の時期には大量の宇宙放射線(や紫外線)は大きな味方であったことを意味する.ところが生命の起源から長い時間を経て高度な生命機構の確立を成し遂げた現在にあっては,その維持という観点から,放射線(や紫外線)は今や大きな敵として位置付けられるようになったことを示すものである.

1.3 はじめに(3)中川の研究の始まり
    地球の生物のあまりにも多様かつ高度な発展を学ぶにつれて中川は,生命は生命からしか生まれないとする「生物発生原則」を信じるようになっていた.これが破られる決定的なきっかけは多くの人々と同じくMillerによるアミノ酸の自然合成の実験に接したときであった.さらに1991年,AvetisovとGol'danskiiの論文[5]がPhysics Todayに載った.カイラリティーの起源を物理学の立場から論じたものでこれにあおられてカイラリティーの研究に進んだ物理屋・化学屋が多く,中川もそのひとりである.奇しくもそのころSPring-8で円偏光軟X線の計画が持ち上がった.これを使わない手はない,中川はこうしてこの分野に参入した.
    勉強して行くうちに中川が着目した化学進化研究のトピックスは以下の点であった.(1)隕石の加水分解生成物からアミノ酸が発見された [6].このことは宇宙においても生体分子が生成した可能性を示す.(2)近年隕石由来のアミノ酸にエナンチオ過剰が見出された [7].このことは宇宙においてもカイラリティーの始まりの引き金が引かれたこと,すなわち不斉反応が宇宙で起きたことを示唆する.(3)模擬惑星大気や星間雲の気体成分を低温基板上に凝縮させた固体[8]に真空紫外線,電磁波放射線,粒子放射線を照射するとアミノ酸が生成する.アデニンも得られた.アミノ酸は加水分解のあと得られ,遊離単体よりは重合体として存在する量が多い.これらの結果を説明する義務が科学には課せられたのである.
    以上の情勢分析から,アミノ酸の自然合成はほとんどやりつくされていることが分かった.研究の今後の焦点は,アミノ酸が生成されたあとの化学進化がどう進んだかである.そこで以下の4つの前提をおいた.(1)アミノ酸はすでに生成している, (2) L-体の量とD-体の量は等しい,(3)低温なので固相で存在している,(4)アミノ酸重合体の素性が不明なので当面はアミノ酸単量体の研究から進めていく,(5)そのうえで,宇宙での化学進化のエネルギー源のうち放射線(粒子放射線,電磁波放射線),真空紫外線に着目してこれらが化学進化をどう駆動していくかを調べると面白い.
    上記(5)については,放射線化学・原子分子物理学の分野でなされたPlatzman[9]の貢献が有用である.すなわち,彼が1962年に発表した光学近似と呼ばれるアイデアによれば,図2に示す原子に束縛された軌道電子が高速荷電粒子(ここでは電子e- )から受けるクーロン力の電場搖動は,位置1からの電場と位置2からの電場では入射軌道と平行成分は互いに符号が反対であるのでここでは無視すると,垂直成分が残る.相互作用の有効時間Δtは入射粒子の運動エネルギーTが十分大きい電子ではその速度を光速cとし軌道電子との相互作用距離dを0.1nmとするとΔt = d/c = 0.1nm/(3x108(m/s))=3.3x10-19sとなる.このパルス時間幅は非常に短い.よく知られているように,時間幅Δt の短いパルスをフーリエ変換すると特性(上限)振動数を1/Δtとする連続スペクトルが得られ(図3),軌道電子は図3に示す白色光を一気に照射されたと同じことになる.白色光を照射された原子分子はその光吸収断面積のスペクトル,いわゆる吸収スペクトルσ(E)に応じて光を吸収し励起状態になる.ここでE= は光子エネルギーである.Platzmanはこの事情を考察してσ(E)をそれに比例する振動子強度分布df(E)/d Eで表した式を提案したが,ここではあえてdf (E)/d Eσ()で書き直すと,高速荷電粒子による励起断面積

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となり,より分かりやすいかも知れない.荷電粒子ではなく連続した振動数の電磁波すなわち白色光を照射された場合の励起断面積はもちろん白色光電磁波による励起断面積である.
2つの式を比べると以下のことが分かる[9].
(1)光で励起されやすい状態は電子線でも励起されやすい,(2)粒子線励起では1/E の項のため高エネルギー状態は生じにくい.(3)電磁波に対する吸収スペクトルを広域で測定すれば電子線の化学作用は予測可能である.
   宇宙でアミノ酸が生成される舞台として星間雲が考えられている.星間雲の供給される紫外線・放射線エネルギーはどのような分布をしているだろうか.太陽のような核融合による熱放射を行う星が連続スペクトルをもつことはよく知られている.中性子星の電磁波放射はシンクロトロン放射に起因し,図4に示すとおり幅広い連続スペクトルを示す[10].
   図3を見ると,このスペクトルは地上のシンクロトロン放射のスペクトルにいかにも近い.すなわち,宇宙における化学進化を研究するうえで,理研(原研)Spring-8,分子科学研究所UVSOR,兵庫県立大学NewSUBARU,広島大学HiSORなど日本にはそうそうたるシンクロトロン放射研究施設が揃っている.つい先年まではつくば産業技術総合研究所のNIJI2号,TERASも光を放っていた. fig4
図4.かに星雲の電磁波放射スペクトル.Logν =16付近が波長100nmの真空紫外線に相当する([10]を改変).

2 15年間の成果の概要

中川が15年間にわたって行ってきた研究はその詳細がすでに本誌VivaOrigino[3]にも解説されており,最近のものは「放射線化学」[11]に詳しいので,ここでは敢えて繰り返しを避け,分かってきたことの骨子を以下5つの分野について記す.

2.1 σ(E)測定プロジェクト

 上記Platzmanの光学近似にそって,アミノ酸および核酸塩基の吸収スペクトルを,シンクロトロン放射を用いて 3 < E < 250 eV の光子エネルギー範囲で測定してきた.
 実験についてまず以下のことが分かった.
(1)固相アミノ酸の測定には,うすく均一な膜の作成が必要である.我々のグループでは 2000年頃,大学院生の持田武志がアミノ酸の蒸着に初めて成功して以来,田中真人,三本晶,今津亜季子,谷川能章,田邉真依子,石山公啓らの歴代の大学院生がそれぞれ画期的な蒸着法を開発し,新たな実験を可能としてきた.
(2)スペクトルを得る手法は,3 < E < 10 eV,10< E < 30 eV,30< E < 250 eVの3つの領域によって異なる.30< E < 250 eVではσ(E)の絶対値はHenke[12]による原子吸収断面積の総和で概ね近似できる.これは,このエネルギー範囲では光励起の終状態が個々の原子の軌道の重ね合わせでよくあらわされる,言い換えると,より原子的になるためであると解釈できる. E >30 eVの範囲でも光学遷移の終状態に分子軌道が反映される内殻吸収端の近傍ではHenkeの近似はもちろん成り立たない.実験で求めることが必要となる. E < 10 eVの領域でσ(E)の絶対値を求めるには, MgF2などに蒸着した膜の分子数を液体クロマトグラフィーなどで絶対値測定し,その膜の吸収と比較する.これらの手続きで未知となるのは10 eV < E < 30 eVである.実験精度の要求からは8 eV< E < 40 eVのエネルギー領域であり,この領域にはC-C,C=C,C-N,C-O,¬C=Oなどの分子軌道に関わる遷移が集中する,この領域の吸収断面積σ(E)は実験によって決定する以外有効な手段がない.
(3)以上の手続きを経て決定した広域光吸収スペクトルの絶対値を校正する方法が必要である.我々は東工大 籏野嘉彦先生のグループの研究[13]にヒントを得て,Thomas-Reihe-Kuhnの総和則[14]

Nは遷移にかかわる電子の総数)を用いることにした.この総和則は,電子は無限に光を吸収で きないことをあらわす.電子は光を吸収していろいろな励起状態に遷移するがそれらの確率の総和は1である.これは電子の波動関数が規格直交化されていることと対応する.電子N個をもつ分子では遷移の確率(振動子強度という)の和はNである.
  図5の縦軸の絶対値はこの校正の結果得られたものである.
(4)図5[15]から,アミノ酸には共通性と個性とがあることが分かる.まず共通性としてどのアミノ酸も17 eV付近に吸収極大をもつ.この極大はC-C,C=C,C-N,C-O,¬C=Oなどの分子軌道に起因する.このことは宇宙において白色光にさらされたアミノ酸は,約17 eV付近の電子準位に励起されたものが多数を占め,各種の化学進化はこの状況を出発点とすることを意味する.一方,個性もある.フェニルアラニンでは6 eV付近にベンゼン環特有の吸収極大が,メチオニンでは200 eV付近にイオウL殻の電子遷移に起因する吸収極大がある.これらの共通性と個性とを組み込んだ化学進化のシミュレーションの実行が期待される.


図5.アミノ酸固相の広域光吸収スペクトル.分子名のあとの数値は分子量([15]を改変).

2.2 重合実験

 エキシマ-ランプおよびシンクロトロン放射を用いていろいろなアミノ酸の重合実験を行ってきた.単量体(モノマー)から2量体(ダイマー)への重合は,化学進化においてアミノ酸からオリゴペプチド,ペプチドを経てタンパク質が作られる化学進化の第1歩の反応でありその機構や量子効率の絶対値測定は化学進化のシミュレーションにおいて重要な意味をもつ.主要な結果について記す.
(1)アラニン固相に172nm真空紫外光を照射したときのAlaの分解量子効率は0.1,Ala+ hν →AlaAlaの重合の量子効率は約0.001であった[16, 17].
(2)光子エネルギー860 eV の軟X線をグリシン蒸着膜に照射し,Gly+Gly+hν → GlyGly の化学進化の量子効率を約0.03と決定した[4].
(3)グリシン2量体蒸着膜に146 nm真空紫外光を照射し,GlyGly+GlyGly+hν → GlyGlyGlyGly の重合反応の量子効率を0.0003と決定した [18].この実験結果の概略を図6に示す.


図6.グリシン2量体の光化学反応.91%はもとに戻り約9%が反応し3量体と4量体の生成が確認された.

2.3 円二色性スペクトル測定と不斉反応の研究
 隕石中のアミノ酸にエナンチオ過剰が見出されたことは,宇宙において不斉反応がおきたことを強く示唆する.不斉反応をもたらすさまざまな要因のうち我々は円偏光に着目して実験を開始した.円偏光による不斉反応は左右円偏光に対する光吸収断面積の差,すなわち円二色性に起因する.我々は,真空紫外域および軟X線領域において円二色性スペクトル測定を行ってきた[19].
 図7に,ロイシン蒸着膜(膜厚130 nm)の吸収スペクトル(カーブA),市販の円二色性分散計(JASCO J-720WI)で測定した円二色性スペクトル(カーブR:ラセミ体,カーブL:L体,カーブD:D体)を示す.実験では,産業技術総合研究所 NIJI-2号の可変偏光アンジュレーターを用いて波長180nmの右円偏光RCPL,左円偏光LCPLをラセミ体蒸着膜に照射して約70%を分解し,残ったロイシン蒸着膜の円二色性スペクトルをJ-720WIで測定した.入射光軸に垂直な回転軸の周りに試料を回転させ,みかけの円二色性スペクトルの角度平均をとると,アンジュレーター光に混入した直線偏光成分によって誘導された線二色性(LDLD’)および線複屈折性(LBLB’)とを部分的に除去できるというShindoら[20]やKurodaら[21]の解析方法を用いてデータ処理を行い,図8に示す結果を得た.図8の縦軸は線二色性(LDLD’)および線複屈折性と円二色性CDの和

である.図8において右円偏光RCPLを射したラセミ体ロイシンの円二色性スペクトルは短波長域で正の増加を示し,図7のL体ロイシンの円二色性スペクトルに類似していることが分かった.図7からD体ロイシンは負の円二色性を示す,すなわち右円偏光を優先的に吸収するので,右円偏光RCPLはラセミ体のうちD体に優先的に吸収されてD体が分解され残った試料中にはL体が過剰に存在するために,図8の右円偏光RCPL照射試料は図7のL体に類似した円二色性スペクトルを示すと解釈できる.図8における左円偏光LCPLを照射した結果についても同様に解釈でき,図8の未照射試料の円二色性(No irradiation)のベースラインがゼロにはなっていないもののその強度の波長依存性がみられないことともつじつまがあうと判断される.
    図7,図8を定量的に解析した結果,ラセミ体蒸着膜は約70%分解され,残った蒸着膜中のロイシンは約1.5% エナンチオ過剰が観測されたことになる.Kaganの式[22]による計算では70%分解によるロイシンのエナンチオ過剰は0.66%と予測される.実験値1.5%が理論値0.66%に比して大きい理由は現在不明であるが,この実験結果は円偏光照射によって不斉分解がおきたことを支持するものであると結論した.


図7.ロイシン蒸着膜の吸収スペクトル(A)および円二色性スペクトル(R:ラセミ体,L:L体,D:D体).


図8.ロイシン蒸着膜の円二色性スペクトルを処理して得られたP3の値.RCPL:右円偏光照射後,LCPL左円偏光照射後,No irradiation未照射.

3. どんな研究が必要か?

いろいろな方々がほぼ共通して描いておられる地球生命の起原のシナリオのひとつを中川なりに図解すると下記のようになる(図9)[3].


図9.分子パンスペルミア説のモデル

(1)星間塵の低温表面に吸着したメタン,水,アンモニアなどの星間ガスの固体に放射線,紫外線が照射されて光化学反応,放射線化学反応がおき,水素原子が供給されると低温でトンネル反応などもおきてアミノ酸あるいはアミノ酸前駆体が生成する.この段階ではアミノ酸はラセミ体である.
(2)アミノ酸は星間塵によって宇宙空間を移動する.この間に作用する紫外線,放射線などの分解因子のため数を減らしながらアミノ酸は移動するが,反応に有意な数が残らねばならない.
(3)星間塵に表面吸着したアミノ酸は移動の過程で円偏光にさらされ.不斉反応によってカイラリティーを獲得する.ここで図のようにL体の数がD体より大きくなったとしても,円偏光によって導入されるカイラリティーの度合い(エナンチオ過剰率)は小さく,数%以内にとどまると考えられる.
(4)小さいながらカイラリティーを獲得したアミノ酸はさらに移動を続け,分解因子やラセミ化因子による「攻撃」によってその数が減少する.分子そのものが壊れにくい「耐分解安定性」と,たとえ分子が壊れて小さなアミノ酸になったとしてもカイラリティーを保つ「カイラル安定性」(アスパラギン酸固相でアラニンになる場合がこれに相当)とが重要である.
(5)アミノ酸を含む星間塵は,途中で合体や分離を繰り返しつつ,地球などの水天体や,タイタンなどの非水溶媒の天体に到達するものがある.
(6)この段階の生体分子はわずかなカイラリティーをもつだけなので,地球生命に発展するには,カイラリティーの画期的な増殖が不可欠である.この増殖が化学進化の時期に起きたのか,最初の生命が誕生した後の生物進化の時期におきたのかは,今後明らかにされる課題として興味深い.
(7)以上のように,カイラリティーの起源としては円偏光を考えるのが妥当と思われるが,円偏光はその端緒を与えるにすぎず,地球生命の生体分子のホモカイラリティーを説明するには,端緒に引き続く画期的な増幅過程が必須である.
(8)生命の起原研究における現在の到達点をさらに押し広げるには,「結果に行きつき得る実験」を考案する必要がある.宇宙で一般的である環境は何かを探すのもよいが,何が一般的であるかは難しい.それよりも一般的でなく特殊であっていいから,とにかくも結果に行きつき得る実験系の構築を目指すのが,早道なのではないだろうか.

謝辞
 本研究を長年にわたって実行するに当たり,多くの皆さまにお世話になりました.産総研での実験では,小貫英雄博士,渡辺一寿博士,山田亨博士,田中真人博士にお世話になりました.SPring-8の実験では,原子力研究開発機構 安居院あかね博士,横谷明徳博士,高輝度光科学研究センター 室 隆桂之博士にとくにお世話になりました.ここに感謝いたします.吸収スペクトル測定,反応性の研究については,中川研究室の歴代の大学院生たち,とくに田中真人博士,金子房恵博士,泉雄大博士,児玉洋子氏,蒲原真澄氏,松井貴弘氏,今津亜季子さん,三本晶さん,田邊真依子さんに感謝いたします.
 本研究の一部は,分子科学研究所UVSOR共同研究 13-860,14-855,15-545,18-515,18-514 , SPring-8 共同利用(課題番号2007B1498,2008A1307)などによってなされました.

References

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