Viva Origino Vol.43 No.2
ヒトから人間へ

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村上 陽一郎
東京大学・国際基督教大学名誉教授
(Received 27 June, 2015, Accepted 30 November, 2015)

はじめに

 現代日本社会では、生物学上の種を表す時には片仮名を使う習慣が定着している。したがって、現生人類は、生物学的には「ヒト」である。一方、通常の言葉づかいとしては、「ヒト」とは言わず、「人間」を使うのが順当であろう。では、「ヒト」から「人間」への移行は何によって果たされるのか。その移行を「進化」とは呼ばないだろうから、今回の特集のテーマから見れば、適切かどうか、自信がないが、とにかく、ここでは、「ヒト」と「人間」の間にある懸隔を考えることにしたい。

第二の子宮

 ヒトと他の生物との間の差の問題は、好んで話題にされるが、少なくとも遺伝学上はごく小さいというのが、近年の見解である。とくにヒトの近縁種であるチンパンジーとは、DNAの比較において、実に僅かな差しかないことが明らかになっている。とはいえ、実際の行動様式には「同じ」であると言うには余りにも大きな差があることも確かである。そうした議論のなかで、スイスの生物学者ポルトマン(Adolf Portmann, 1897~1962)の残した、「ヒトは早産する動物である」という考え方には、掬すべき点がある。
 哺乳動物は一般に、生まれ落ちた嬰児は、自力で立ち、自力で母親の乳房を探し当て、それに吸い付く能力を持ち合わせている。しかしヒトの嬰児は、哺育者の手を借りなければ、少なくとも生きていく術という点で全く無力である。これも近年の研究成果が教えるところだが、胎児や生まれて直ぐの嬰児には、様々な「能力」がある。胎児の段階で、退屈のあまり指しゃぶりを続ける、外界の音の認識があって、聴き慣れている母親や家族の声と、そうでない音とを、生まれて間もなくの嬰児が聞き分ける、あるいは原始歩行や、物真似など、興味ある報告が重ねられている。しかし、少なくとも「生活能力」に関しては、ヒトの嬰児は「無力」である。ポルトマンの言葉は、そうした点を踏まえて、出来れば、もう暫くは母親の胎内に留まるべきところを、それではお産が一層大仕事になるので、少し早目に世に送り出されるのが、「ヒト」なのだ、ということを表している。
 そこで、早目に世に出てしまったヒトの嬰児は、そこで、親やその家族という「共同体」のなかで「共同哺育」の形で、人生の最初の時間を過ごすことになる。この「共同哺育」を、「ヒト」の特徴の一つに挙げる人類学者は多いが、筆者は、ポルトマンの言い分を汲んで、「第二の子宮」と名付けてきた。

共同体の言語

 第二の子宮の役割は、一義的には嬰児の生命の維持・発展にあるのは当然だが、ここで、ヒトの持つもう一つの顕著な特徴である「言語」が、大切な要素として登場する。ヒトの嬰児は、親や家族から、常に、その共同体の財産である言語を使って話かけられる。どうせ、話しても判らないのだから、という理由で、嬰児に話しかけない親や家族はいない。
 ところで、言語の機能は何なのか。詳しく論じる暇はないが、通常言われる「コミュニケーションの道具」というのは、筆者の見解では二義的なものに過ぎない。そもそも、言語はどうして「コミュニケーションの道具」になり得るのか、が問われなければならないからである。
 言語の機能の第一は、むしろ認識の道具である。視覚に、あるいは聴覚に入ってくる感覚刺激の世界は、それだけでは、混沌とした多様体である。W・ジェイムズ (William James, 1842~1910)はそれを「刺激の大海」と呼んだ。そうした刺激の多様体にめりはりをつけ、分節化する機能こそ、言語の役割の最大のものであろう。例えば色彩の多様体(スペクトラム)を考えても、連続する色の多様体のなかに、「赤」や「青」という言葉を用いることによって、一つの色が同定され、その周辺の微妙な色差は、敢えて無視される
。  このように考えると、ヒトの嬰児は、共同体の言語を習得することのなかで、感覚に映じる混沌とした刺激の多様体のなかに、何を読み取り、何を無視し得るか、を判別する機能、簡潔に言えば「認識」機能を磨くのである。ちなみに、言語が共通の認識を保証するからこそ、言語を使ってコミュニケーション(言語を通じての共通理解)が成り立つのである。
 しかし、嬰児の言語の習得は、自らが育てられている共同体固有の認識の枠組みを獲得するだけではない。そのことを通じて、通常は「倫理」と呼ばれている課題、つまり何をすべきか、何をすべきでないか、という行動上の判断基準をも習得するのである。第二の子宮の役割の大切さは、まさにここにある。そして、そのことが達成されたとき、その「ヒト」は、共同体に属する「人」々の「間」で生きていくことができる資格を得る。つまり「人間」になるのである。「人間」とは、属する共同体のメンバーとして存在し得る「ヒト」のことである。あらゆる共同体が「成人式」に類するしきたりを持っているのも故なきことではない。

人間の構造

  では「人間」はどのように理解されるべきなのか。一つの仮設モデルとして「ノモス=カオス」説を提唱したい。ノモスとは、ギリシャ語の原意は、ある共同体が保有する習慣やしきたりを表す。一方カオスのそれは混沌であろう。そこで、一人の人間を考えたとき、そこには、第二の子宮とそれ以後の経験のなかで、その人間が持ち得た「ノモス」が認められるのは、上の議論からして自然なことだろう。しかし、人間は、それだけの存在ではない。自らのなかに、そうしたノモスに抗ったり、逆らったりする、エネルギーのようなものを抱え込んでいる。それをカオスと名付けておく。そもそも、生まれ落ちたヒトの嬰児は、まだノモスは持たないが、しかし、カオスも、言わば「可能性」としてのみ、存在している。言い換えればカオスは、第二の子宮によって与えられるノモスによって、その中の一部が現実化し、現実化しなかった部分は、潜在的な可能性として、残される。
 ヒトの幼児のカオスは、成長の過程のなかで、ノモスに対する働きを、恐らくは非自覚的に始めるのだろう。「反抗期」というのが、何度かヒトには訪れるが、それは、カオスの働きとして理解される。思春期における発動は、むしろ自覚的なカオスの働きによるとも考えられる。やがて成人して「人間」と見なさされ、共同体のなかに、然るべき場所を占めることができるようになると、通常ノモスとカオスのせめぎ合いは、緩慢・温和になる。もっとも社会全体では、共同体のノモスに寄り添って生きる(言い換えればカオスの働きを高度に制御できる)人間から、むしろ自らのカオスに忠実に生きようとする人間まで、一種のグラデーションが構成される。共同体のノモスに完全に背を向ける人間は、当該の共同体にとっては「異邦人」であり、ありふれた言葉を使えば「疎外」された人間ということになる。英語の「疎外」は<alienation>であるが、原意は「他者(化)」である(<alien>と言えば「異星人」にさえなる)。

寛容 

  ところで、人間は、共同体のなかで生きる以外の途はないのだから、多かれ少なかれそのノモスに従う必然性があり、裏から見れば、それこそ「人間」の特徴の一つである。とりわけ自然言語が、ノモスを伝え、ノモスを働かせる最も重要な要素である以上、言語の使用が人間にとって決定的な意味を持つことになる。ということは、他の自然言語を保有する共同体のノモスに支配される人間とのコミュニケーションは、どのように成立するのだろうか。言い換えれば、翻訳可能性はどのように保証されるのだろうか。
 一つの答えは、完全な翻訳は不可能である、というものである。確かに、ある意味では、この答えは信憑性がある。しかし、原理的な問題として、二つの言語の間の翻訳が不可能である、という判断は誰が出せるのだろうか。A言語のB言語による翻訳が、A言語の言わんとすることを完全には伝えていない、という判断は、A言語とB言語の双方を完全に理解し得て初めて可能になり、そのことは、両言語の翻訳可能性を立証することになる。つまり翻訳不可能性の主張は、翻訳可能性の主張の上に成り立っている、というアポリアが生じる。また実際上も、翻訳の可能性を否定することは、あまり意味があるとも思えない。
 そこで導入すべき概念として「寛容」(tolerance)を考えてみたい。一般にヨーロッパの歴史では、「寛容」は宗教的文脈で語られてきた。ロック(John Locke, 1632~1701)には、有名な『寛容の書簡』という作品があるが、まさにキリスト教社会における宗教的寛容を言い立てたものであった。ここでの寛容は「機能的寛容」とでも表現すべきものであって、人間の構造に内在するノモスとカオスの軋轢にあって、「余裕」あるいは「遊び」を指す。工学の世界では「裕度」と呼ばれたり、<allowance>と呼ばれたりする概念に近い。
 つまり人間は、確かに特定の共同体のノモスに統御されてはいるが、そこから、場所を移してみる、という余裕、あるいは裕度が存在しており、他のノモスとの間を、ある程度行ったり来たりできる機能を有している、と考えてはどうか、という提案である。
 この寛容があるがゆえに、他者理解(この場合の「他者」は先述の<alien>に相当する)が初めて成り立つのではないか。それが成り立てば、同じノモスのなかで暮らす人間同士の間の「他者理解」は、より容易な形で保証されることになろう。
 つまり、ここでようやく私たちは、世界人類のなかでの「人間」という概念の成立根拠を、(辛うじて)獲得できるのではないか、と考えている。



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