Viva Origino Vol.40 No.4
Magic20 と生命の起原

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大島 泰郎
共和化工㈱環境微生物学研究所

1 生命の起原研究と生命の定義
   生命の起原研究には、二つの側面がある。約40億年前に、原始地球上がどのような環境であり、そこで生命の発生に向かっていかなる化学反応が起ったか、それが正確にいつのことであったかなど、生命誕生にかかわる事実を明らかにすることは、科学的に重要であり、かつ興味深い課題である。
   もう一つの側面は、生命の起原研究は生命の定義と深くかかわっていることである。元来、生命の定義をしなければ、起原の研究は始まらない。どのような事実が、生命にとって重要かが分からずに起原の研究はありえない。
   もちろん、生命の定義は確立してはいない。しかし、生化学者、分子生物学者の多数が認める考えはあり、それは「生命=分子機械」である。分子機械とは、分子を部品とする機械であり、生命と呼ぶ機械は、遺伝情報を処理する情報機械である。コンピュータと同様、情報を処理する機械は、ハードウェアとソフトウェアという二つの部分に分けることが出来る。生命と呼ぶ情報機械のソフトウェアは遺伝子であり、化学的実体は核酸である。ハードウェアは、細胞であり、その主要なパーツはタンパク質である(細胞脂質も加えてよいが、細胞膜においても能動素子はタンパク質である)。
   生命の起原の問題は、ソフトウェアとハードウェアがどう作られてきたか、どちらが先かという設問に絞ることが出来る。近年、人気の高いRNAワールド仮説は、原始細胞内ではRNAが遺伝子(=ソフトウェア)としても生体触媒(=ハードウェア)としても機能したと説明するから、ソフトウェアとハードウェアは同時に生まれたとする仮説である。

2 Magic20と生化学的禁制律
   生命をタンパク質をハードウェア、核酸をソフトウェアとする情報機械とみなすと、この機械のソフトウェアもハードウェアも化学的には高分子物質であるという特徴がある。高分子物質であるから、単量体が重合しているが、どちらの単量体も「選択」されている。逆の言い方をすると、特定の単量体以外は用いないという「禁制」がかかっている。
   よく知られているように、タンパク質を生合成するときは、20種のアミノ酸に限定されている。時に間違って「タンパク質は20種のアミノ酸からーーー」と記述されていることもあるが、細胞内のタンパク質は翻訳後修飾がされ、20種以上の多様なアミノ酸から構成されている。ついでに、上記の本文の記載も正しくなく、翻訳過程で遺伝暗号表に従ってポリペプチド鎖に取り込まれるアミノ酸はセレノシステインやピロリシンなどが含まれ20種を超えるが、ここではこれらのいわば遺伝言語の方言によって翻訳過程で取り込まれる微量アミノ酸残基は無視する。
   タンパク質の20種のアミノ酸は、しばしばMagic20と呼ばれる。この語は、Crickが1957年に論文に書いてから広まった(原著論文ではCrickはMagic number 20と述べていて、Magic20とはいっていない。おそらく、Gamowが言い換えて、それを皆が使うようになったと思う)。
   同様に、核酸では糖はリボースまたはその誘導体、塩基はRNAではA,C,G,U、DNAではA,C,G,Tの各4種に限定されている。これらの生化学的禁制律がどのようにして成立したかは、まったく分かっていないが、生命の起原研究にとっても生命の定義にとっても、根源的な未解決課題である。

3 Magic20にみる奇妙な選択
   Magic20はなぜ選ばれたか不思議なことが多い。アミノ酸は、1分子中にアミノ基とカルボキシル基が一つ以上含まれている有機化合物の総称であるから、無限の種類が存在する。その中から選ばれたMagic20には共通の化学的性質が四つある。
   第一は、Magic20のメンバーはすべて"α"アミノ酸である。この学術用語はすでに死語であるが、生化学にとっては便利なので今も使う研究者が多い。定義は「一つの炭素原子(=α炭素原子)にアミノ基とカルボキシル基が結合しているアミノ酸」である。αアミノ酸以外のアミノ酸にも、γアミノ酪酸のように生理的に重要なアミノ酸があるが、Magic20はαアミノ酸に限定されている。
   第二の共通性は、α炭素原子の残る2つの結合のうち、ひとつは必ず水素原子である。第三の共通性は、その水素原子は立体的に限定されていて、カルボキシル基を手前に、アミノ基を遠くに置いたとき、その中間に位置するα炭素の右側に水素原子が結合している。その結果、残る側鎖は左側、すなわちグリシンを除くMagic20のメンバーはすべてL型アミノ酸である。かって赤堀四郎先生(私の卒研の指導教官だった)は、ポリグリシン説を提唱し、その起原を説明した。すなわち、原始地球上ではアミノ酸に先立って、まずポリグリシンが形成され、それが粘土の表面に吸着され、外側から反応性の高い化合物が攻撃して側鎖が形成されたとすると、一つのポリペプチド鎖では、側鎖の立体的な位置が制限される。残念なことに、実験してみるとポリグリシンは安定な化合物で、α炭素原子でなく、ペプチド結合や末端の炭素しか攻撃されない。
   第四の共通性はα炭素原子の残る結合手は、水素原子が結合するグリシンを除いて、炭素と結合している。OH基やSH基がα炭素に結合したαアミノ酸はあり得るが、Magic20のメンバーではない。セリンやシステインのOH基、SH基は、もう一つの炭素原子を介してα炭素原子に結合している。
   側鎖にも奇妙な制限がかかっている。側鎖が炭化水素からなるアミノ酸は、アラニン、バリン、ロイシン、イソロイシンと並ぶが、側鎖が分岐しようのないアラニン以外はすべて分岐鎖である。なぜ直鎖がないかを説明する仮説はない。
   奇妙な制限の例をもうひとつ挙げておこう。Magic20のメンバーにはグルタミン酸とアスパラギン酸、グルタミンとアスパラギンのようにメチレン基一つの違いの側鎖を持つアミノ酸がある一方で、塩基性アミノ酸にはリシンのみで、相当するアミノ酸、オルニチンはMagic20のメンバーでない。オルニチンは生体内で作りにくいアミノ酸?とんでもない。オルニチンは尿素サイクルの主要メンバーで、われわれの体内では多数派のアミノ酸であるし、微生物でさえやすやすと生合成できる。なぜオルニチンが排除されたかは全くの謎である。

4 核酸における奇妙な選択
   同様な謎は核酸にもある。アデニンから簡単に合成できるヒポキサンチン(ヌクレオシドやヌクレオチドのときはイノシンと呼ぶ)は、生体内の塩基の代謝では重要な中間体の一つであるがRNAにもDNAにも用いられない(RNAでは修飾塩基として存在するが、転写過程で取り込まれることはない)。
   そもそもなぜ4文字系なのか。アデニンとヒポキサンチンの2文字系の方がずっと合理的でないか(この点も最初に指摘したのはCrickである)。糖はなぜリボースか?代謝系の基準物質であるグルコースでないのはなぜか?なぜD型の糖か?誰にも答えられない謎が多すぎる!

5 膜脂質の禁制律
   ここまで述べてきたアミノ酸や核酸の構成塩基と糖に関しては、地球上の全生物に共通で、この点からは地球生物はただ1種しか存在していない。これに反し、膜脂質から見ると、地球上には2種の生物が存在する。真正細菌(バクテリア)はグリセロール骨格に二本の"基本的に"直鎖の炭化水素鎖、代謝の上からはアセチルCoAが次々と縮合してできる、したがって偶数の炭素骨格を持った炭化水素鎖が、エステル結合を介して結合している。
   これに対し、古細菌(アーキア)はCoAと同様に代謝上の重要な中間体であるメバロン酸(炭素数が5)を出発物質とし、これが4回縮合した炭素数20で、炭素数5あたり必ず一つの分岐を持つ分岐炭化水素鎖が2本、グリセロールにエーテル結合を介して結合している。その上、グリセロールの光学活性(グリセリンは対称な分子で光学活性はないが、側鎖がつくことで対掌体が誘導される)は反転し、真正細菌ではl型、。古細菌ではd型である。
   さらに奇妙なことに、古細菌を宿主(当然、細胞膜脂質は古細菌型のエーテル脂質)として、真正細菌の共生によって成立したとされる真核細胞の膜脂質は真正細菌型である。素直に解釈すると、共生の後に膜脂質を進入してきた細菌のものに置き換えたことになる。われわれ高等生物の祖先は、こんな難しい、かつ奇妙な進化をしたのだろうか?

6 さいごに;清水先生と私
   清水先生は高等学校の先輩である。高等学校は東京都立小石川高等学校、でも清水先生が入学時は多分、都立第5高等学校という名だった?、私が入学時ですら正式名では誰もどこの学校か理解してもらえず、敗戦前の名「5中です」といっていた。戦後の学制が変革する時代で、名もころころ変わった。あるお屋敷に手入れに来た庭師が「坊ちゃん、どこの学校?」と聞かれ、息子が「東大」というと「知らねえーな、どこにあるんで?」、不忍池と本郷の間にあるというと「じゃー、帝大のそばですね」という実話があった時代である。いずれにしても高校の先輩とは絶対的な存在で、私は清水先生に対しこれまで異論を述べたことはないし、今後もありえない。
   でも、内心は生命の起原研究に関しては、私が先輩では?という気も少しはある。もちろん、口や態度に出したことはない。上述したように、私の卒研の指導教官は赤堀四郎先生、大学院ははじめ田宮信雄先生(田宮先生はユーリーの直系の弟子)、博士課程からは江上不二夫先生と、日本の生命の起原研究の草分け的な存在だった先生方に師事し、その後、博士研究員としてNASAの研究所で原始地球実験を行い、そこではユーリーやミラー、それに原始たんぱく質で有名なフォックスと知り合う機会を得たのだから。
   清水先生とはいろいろ思い出も多いが、何といっても頭の回転のとびっきり早い秀才で、頭の速さに口がついていかない。このため早口である。さらに時々、言葉の一部を省略するので、会話についていくのが大変である。しばしば、まどろこしい説明を省いて結論だけいわれるので、時に独断的、ドグマ的と感じることさえあるが、これは頭の早い物理学者に共通する。
   あるとき、生命の起原の会に参加した際、会場の熊取にある京大原子炉研の宿舎で同室をさせていただいたことがある。朝、窓の外の樹に鳥が集まっていた。私は一羽一羽に気をとられ、何をするために樹に集まるのだろうかといぶかっていたとき、清水先生は「同じ樹なのに鳥が多い樹と少ない樹がある」とポツンといわれた。こういうとき、私は心底から清水先生にはかなわないと思う。全体を鷲掴みし、核心となりそうな現象を見据えている。こんな折には、大学院生時代の実験結果に自縛状態となり、その後は本質的に何の進歩も生み出せなかったミラーと、友人のデルブリュックからの乏しい知識でありながら本質を突いた議論を展開し生命の起原にも大きな影響を与えたシュレディンガーを対照的に思い出し、シュレディンガーに清水先生の姿が重なるのだが。これからも、清水先生の意表をつく新説が、生命の起原学界を刺激することを期待してやまない。清水先生、お祝いの機会に駄文でごめんなさい。



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