Viva Origino Vol.40 No.4
清水幹夫先生の傘寿記念に想う

—道をひらく—

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郷 通子

   清水幹夫先生は、私がお茶の水女子大学理学部物理学科の学生だった時、助手として在籍されていた。物理学科の同期生は入学時に16名だったが、他学部や他学科に移って行った人もいて、3年生になった頃には12名に減っていた。大学院はまだ無かったから、学生は1年生から4年生まで合わせても6、70名ほど、教員も10数人の小さな物理学科だった。新入生の歓迎遠足には、すべての学年が揃って出かけた。学生も教員も家族のように、殆ど全員が顔見知りだった。
   清水先生は量子力学演習を担当された。シッフの「量子力学」が教科書で、各章の最後に出されている問題を解く演習だった。短い解答が巻末に書いてあるのに、演習を受けるには、かなり勉強しなければならなかった。部活、学生デモとアルバイトに、放課後の殆どの時間を使っていた私は演習問題を率先して解答できる優等生ではなかった。因みに、3年生の時は日米安保改定の年であった。1960年6月15日、改定に反対する多くの国民が国会周辺に集結、全学連のデモ隊が国会の庭に突入して、警官隊と激突となった。私も友人たちと共に、その中にいた。その体験から推して圧死と思われる悲劇が東大生の樺美智子さんの若い命を奪った。
   その年の夏だったと記憶しているが、清水先生はイギリスに留学されることになった。1950年代から60年代初頭の海外留学には、飛行機で行くことは珍しかった。2,3名の教員と学生たちは、清水先生が乗られるインド洋航路の大型客船への興味もあって、竹芝桟橋(だったと思う)まで行き、先生を見送ることになった。出発までの時間があってみんなで艦上にあがって広い甲板を歩いた。乗組員に英語で「食堂はどこか?」と聞いてみたが、全く通じなかったことは苦い思い出となった。ご郷里から先生のお母様とお祖母様、甥子さんと思われる小学生の3人で、見送りに来られていたことも,盛夏の日差しと共に覚えている。外国に行くことは「一生の別れ」かもしれない、という言葉が、心のどこかにひそんでいた半世紀以前のことであった。
   その後、清水先生は宇宙研に移られ、お話しする機会も無いまま、20年位が過ぎた。宇宙物理学のご研究をなさっておられるのだと思いこんでいたのだが、清水先生は、遺伝暗号と20種のアミノ酸との対応を、その相互作用という物理化学の基礎から単純明解に説明する仮説を提唱された。さらに、ご自身で実験的な検証を始められ、多くの共同研究者を得て、その後も研究グループを組織され、日本の中に、清水スクールを築かれたと思う。誰も、考えていなかったことを、ご自身の頭で考え、多くの困難にもめげず、仮説を証明する為に、ずっとご研究を続けてこられた。清水先生は、ご自身の手で新しい道を切り開かれ、多くの研究者が先生の仮説に魅せられてきた。共同研究あるいは、ご自身の研究テーマとして、仮説を証明する為に、書ききれないほど多くの方々の力を得て、ここまで進んで来られたのだと思う。
   私は名古屋大学の大学院に進学し、核酸の統計力学の研究で博士号を得てコーネル大化学科で3年間のポスドク生活を送り、帰国してから3年後、九州大学理学部生物学科に新設された数理生物学講座の助手に採用された。その時から、蛋白質や核酸が生物の進化や生命の起源と切り離せない物質であることに気づき、進化に関心が移っていった。それまでは物理学の対象として、蛋白質や核酸を見ていたにすぎなかった。生体内で蛋白質が、それぞれに特有な立体構造に、迅速にフォールドする仕組みは生物進化や生命起源と関わること、その関係を追求したいと思うようになった。
   その頃、真核生物の遺伝子には、イントロンという一見無意味な塩基配列が割り込んでいて、スプライシングされることが明らかになった。イントロンの発見がヒントになって、1)蛋白質がコンパクトな3次構造をもつモジュールに分解できること、2)ヘモグロビンのモジュール境界近くに、遺伝子上ではイントロンが存在すること、3)さらに、もうひとつのイントロンがモジュール境界に存在していたが、進化の過程で失われた、とする考えを発表した。間もなく、ダイズのヘモグロビン遺伝子において、そのイントロンが予測した位置に発見されるという幸運にめぐまれた。モジュールはエクソンまたは連続したエクソンと対応しており、モジュールは原始蛋白質であって、エクソンはミニ遺伝子であり、イントロンはエクソンをつなぐノリ代であるとの仮説が導かれた。蛋白質のフォールディングの迅速さは、蛋白質がモジュールから成り立つことから、説明が可能になった。
   清水先生のご研究が物理学から出発したように、後輩である私も物理学から出発しながら、生命の起源と進化の研究につながっていったことに、不思議な縁を感じている。とても光栄なことに、清水先生のC4Nモデルと私のモジュールに関する研究が、共に、クリスチャン・ルネ・ド・デューブさん(細胞の構造と機能に関する発見によって、1974年、医学・生理学分野でノーベル賞を受賞)の眼にとまったことである。「細胞の秘密―生命の実体と起源を探る」(C.ド デューヴ著、三代 俊治、 長野 敬 訳(1992))には、3人の日本の研究者の研究が紹介されているが、もう一人は大澤省三先生であり、コドン暗号は細胞小器官では核と異なっており、コドン暗号も「方言」を持つという発見である。
   研究の足跡を振り返った時、遅かれ早かれ、誰かが必ずやるだろうと思える研究と、この人がいなければ、このような研究はスタートしなかったと思える研究がある。仮説の提唱から始まり、実験的な実証まで、ひと筋の道を切り開かれ歩まれた清水先生の足跡は、後に続く者たちに、「本質的な問題に取り組むことは簡単ではない。誰もやろうと思わない研究こそ、一生をかけて没頭し続ける価値がある」というメッセージだと思わずにはいられません。



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